食べることへの歪んだ認知とストレスが招いた摂食障害
食事をうまく摂れない、食べても吐き出してしまう…
食べることにお悩みの方はいらっしゃいませんか?
私は以前からそのような症状の摂食障害を抱えていて、15歳〜21歳までの6年間は過食嘔吐地獄にどっぷり浸かっていました。
過食嘔吐は「これ以上の苦しみは経験出来ない」と思うほど辛いものでした。
実際、私は辛すぎて自殺行為をしたことがあります。
そんな私ですが、現在は過食嘔吐の症状はほぼ落ち着いていて、適量を吐かずに美味しく食べられるようになりました。
過食嘔吐で絶望しかない方に希望を持ってほしいので、私が摂食障害になったきっかけから、ほぼ克服している今に至るまでを数回に分けて書いていきます。
幼い頃から食べることに対しての印象は悪かった
幼い頃の私は食べるのが遅く、そのうえ食べられる量も少なく、食事の時間が嫌いでした。
食べることがあまりにも嫌いで、小学生の頃には給食の時間が憂鬱で登校拒否をしたことがあるほどです。
成長期に入るとたくさん食べられるようになりましたが、その時期にまた「食べること」に対しての印象が悪くなるような出来事が…
母と兄がダイエットをしており、その姿を見ていた私の中に「たくさん食べると太るから食べてはいけないんだ」という思い込みが作られていったのです。
そうした経緯から、幼い頃から食べることは「良くないこと」という認識が作られていき、食事を楽しめていた記憶はあまりありません。
夢を追うために文武両道の中高一貫校に入学
私は幼い頃に父を癌で亡くし、そのことがきっかけで私は「医師になってガン患者を救いたい」と夢を抱くようになりました。
医師になるには医学部に進学する必要があり、そのためには学力が必要不可欠。
私は中高一貫の学校を受験し、夢に向かって勉強に励みました。
無事に合格・入学した学校でしたが、そこからの学校生活は心身ともに大変で、私の人生を大きく変えたのです。
充実していた学校生活と大変な日々
私が進学した学校は文武両道を掲げていて、部活は必ず入部するのが規則でした。
走るのが好きな私は陸上競技部に入り、夜遅くまで部活動に励み、帰宅してから深夜まで勉強する日々を送ります。
文武両道は気持ち的には苦ではありませんでしたが、体力的にとても大変で、睡眠不足は当たり前。
それでもやりたいことをやっていたので、毎日が充実していたのです。
陸上未経験の私が、陸上経験者で全国レベルの部員に追いつこうと奮闘する
陸上競技部に入部した私は、種目に短距離を選択しました。
私以外の短距離の女子部員は全員陸上経験者で、しかも全国レベルの足の速い子だけでしたので、陸上未経験の私は、当然その子達の足元にも及びません。
しかし負けず嫌いの私は、これまでの経験の有無を言い訳にして諦めることはできず、「どうしたらみんなに追いつけるんだろう」と考えて努力していくことに。
速く走るのに効果的なトレーニングを顧問や部員に教えてもらって自主練したり、無駄な脂肪を落とすためにダイエットに励んだりするなど、少しずつではありますが、その差を縮めていきました。
速く走りたくてダイエット
部活でほぼ毎日走っていた為か、部内に太っている子はいませんでした。
それでも全国レベルの部員には顧問が体重指導をしていたので、私は「速くなるには体を軽くしないといけないんだ」と思うように…
部活でたくさん走って筋トレして、自宅でも筋トレをして。
当時はご飯は「太る物」と認識していたので、ご飯はほとんど食べませんでした。
飲み物はカロリーのないもの。
スポーツドリンクは薄めて飲む。
タンパク質と野菜とカロリーメイトばかり食べていた記憶があります。
それなのに、部活を頑張れば頑張るほど体重が増え、「太った」と自己嫌悪に陥っていました。
今こうして改めて考えれば、筋肉がついたことによる体重の増加なのだと冷静に分析できます。
実際、友達には「痩せた?」と聞かれていたので、体は引き締まっていたのでしょう。
しかし当時は体重でしか判断できなかったために「体重が増えている」という事実のみに衝撃を受け、自分をどんどんと追い込んでいきました。
ストレスを解消する方法が無くなってしまった
私は走るといった体を動かすことでストレスを発散できます。
きついメニューほど好きで、何も考えられなくなるまで走って疲れ果て、「無」の状態になるのが好きでした。
しかし、そんな私からストレス発散の機会を奪う事態が発生してしまいます。
中学校3年生の夏に足を捻挫し、無理して練習や夏合宿に参加した結果、足を地面に着けるのも痛いほどに悪化。
走ることがストレス解消法だった私にとって、「走りたくても走れない」のは苦痛以外の何物でもありません。
それだけでなく、私をさらに追い込むかのように、周囲の状況が変化していきます。
足の痛みが原因で2ヶ月程リハビリ用のメニューをやっていたのですが、走れなくなってからというもの、部内の人間関係が一変。
優しく接してくれていた先輩達が冷たくなり、同級生は仲間に入れてくれなくなって、楽しかった部活が憂鬱なものになったのです。
部活でストレスを感じていた影響は、部活以外の場面でも少しずつ私を蝕んでいきます。
テストで良い成績を取って高校では特進クラスに入りたいと勉強を頑張ってはいたものの、思うように成績が伸びず…
人間関係や勉強で悩むことが増えたのに走れなくて……
夜は眠れなくなり、日中ぼーっとすることが増えました。
自覚はありませんでしたが、ストレスは相当溜まっていたのです。
ストレスで体調に変化が…私、ご飯食べられない
そんな日々が続いて、体調にも変化が訪れました。
腹痛から始まり、胃の気持ち悪さも症状に出てくるようになって、食べても吐くようになって…
吐いてしまうのに、母親に無理やり食べさせられては吐くのを繰り返していました。
- お腹が痛い
- 食べると気持ちが悪くなる
こんな症状が私を苦しめていったのです。
食べても吐いてしまうので、体は栄養を吸収できていません。
その影響で、頭は働かないし体力も落ちてフラフラしてしまって、学校を休むようになりました。
腹痛・嘔吐の原因が分かった
腹痛や気持ち悪さで学校を休むことが増えたある日、学校の先生から紹介してもらった病院で診てもらったところ、レントゲンで不調の原因が明らかになりました。
胃の下のほうが収縮し、上のほうに空気が溜まっていたことで、食べ物が胃に入っても押し返されて嘔吐していたとのこと。
また、過敏性腸症候群でお腹が痛くなっていたのです。
これらの原因は、どちらもストレスが影響していました。
処方してもらった薬を飲むことで徐々に良くなり、食事も少しずつ食べられるようにはなりましたが、同時に見つかった腸のポリープを切除した影響で、また走れない状態になります。
友達の一言で意図的に吐くように
食べられるようになっても、私には体重を増やせない訳がありました。
捻挫をする前、顧問に「私は体重を何キロにすればいいですか?」と聞いたことがあったのですが、その体重が食べられなくて痩せた時の体重だったのです。
ポリープを取ったばかりで走れない。
食べても痩せる方法がなくて悩んでいました。
そんなある日、学校の友達に「ふっくらしてきたね」と言われました。
その子は私が「ご飯を食べられるようになって良かったね」という意味で言ったと思いますが、私は「太ったね」と捉えてしまったのです。
体調不良で吐いて痩せたので、「吐けば痩せる」と咄嗟に思ってしまいました。
数か月吐いていた慣れもあり、苦労しないですんなり吐けて…
食べては吐くようになったら、食べても食べてもお腹がすくようになりました。
食べても食べても満足できない。
一回の食事でご飯5合食べても満足できなくなって、「おかしい」と思って体調不良の原因を判明してくれた医師に相談したら、精神科を紹介されました。
そこで診断された内容が…そう、「摂食障害」です。
「吐けば痩せられる」などという安易な発想で嘔吐するようになり、私は過食嘔吐の地獄に足を踏み入れてしまったのです。
それはきっかけでしかなかった
- 食べたら太る
- 食べることはいけないこと
このような思い込みは摂食障害と診断される前からありました。
この誤った認知が、私を過食嘔吐から抜け出せなくさせた原因の1つと考えています。
また、病院では父を亡くしたことによる「喪失体験」、日常生活での「ストレス」が摂食障害の原因と診断されました。
今だから言えることですが、私はストレスを自覚できません。
摂食障害を発症した当時に比べて多少は改善したものの、この記事を書いている現在でも、それは同様です。
そうした自覚できないストレスを、無意識のうちに過食と吐くという行為で発散していたのです。
幼い頃からの食への歪んだ認知は、いずれ私を苦しめただろう
ストレスからの体調不良で胃と腸の調子を崩して吐くようになった学生時代。
元気になって吐かずに食べられるようになった矢先、友達の一言で意図的に吐く習慣を身につけてしまったことで、自ら摂食障害へと踏み出してしまいました。
幼い頃からの食べることに対する歪んだ認知が、過食嘔吐の酷い状態を長引かせたと感じています。
また、このタイミングで摂食障害になっていなくても、食べることに対する悪い印象を払拭しないままでいたら、いつか食べることで躓くことになっていたでしょう。
「吐けば痩せる」という発想はきっかけでしかなく、それより以前からも摂食障害になる爆弾は抱えていたんです。